ブログ

中央線の

石和温泉で下車して、

足湯に入ってみたことがあります。

入るといっても、駅前で足首から下を浸けるだけですが。

今回、お墓詣りで、

特急あずさ下車で、待ち合わせ時間に1時間余りあったので、

上諏訪駅ホームにある足湯をのぞいてみました。

ashiyu.jpg

この案内の向こう側で数名が足を浸していましたね。

私は、今度、出来れば冬場に利用してみたいと思います。


梅雨入りして曇りや雨の日がつづきますが、

こちら日産スタジアム横の舗装された道路の脇に、樹木や植物が植えられている所があるのですが、そちらに、ジメジメして茸が生えるのに具合の良い日がつづいているせいか、あちこちに元気の良い、以下のような茸がニョキニョキと生えています。ちょっと松茸に似ていますが、松や竹は植えられていませんから。でも、茸ってちょっと不思議な存在ですね!!


6月にはアジサイはじめ、さまざまな美しい花が咲いて、心を和ませてくれます。

Agapanthus(アガパンサス) は、ユリ科に分類され、英名・ African lilyというそうですが、

ウォーキングしていると、道端や土手で咲いているので、思わずそちらへ目が行きます。

茎が細くて長いので、強い風が吹くと途中で折れてしまっているのを、昨年はいくつか目撃しました。今年は、今のところ強風にさらされないので、早いうちにと、何枚も摂りましたが、そのうちの一本。

急な土手やコンクリートの間の土からすっくとぬきんでて咲いている。なんとも不思議な感じになります。


このところなぜかアジサイを追っかけています!

あちらの土手、こちらの公園、住まいの周辺のアジサイの花たち。

甘茶の花もアジサイの仲間だと知りました。

さまざまな色合いが微妙に新鮮に思えてきます。

地球上の花ってすばらしいですね!

他の星々の花たちのことも知りたいものです。

金星の地下にも植物があり、

そこではフリーエネルギーを使っている、

と言っていた人もいたのでは・・


アジサイがとても映える季節ですね! 

住まいの周辺や道路の側の土手、公園などで、
とても瑞々しいアジサイの花に出合い、

ふと、足を止めます。

それで、デジカメよりも軽いスマホを持って出るようにしています。

文字が小さく操作に不慣れなため、それに、メガネを持参して行かないといけないので、

面倒なのですが、タイミングを逃すとそれきりになってしまうことが多いので、

覚悟してリュックを背負っていきます。雨が降りそうなときは折り畳み傘やエコバック、

帽子、ハンカチそれに、と・・けっこう重くなっています。

アジサイとアマチャは別ものと思っていましたが、甘茶の木はヤマアジサイの変種でアジサイの仲間に入れているんですね。

子供の頃、干した甘茶の葉を 煮出して、いただいた記憶がありますが、

おいしい、という記憶は残りませんでした。

そんなことを思い出しながら撮った甘茶の花。


このところ、アジサイの花を中心に、デジカメやスマホを持ち歩いて、みずみずしい花々を撮り歩いています。

天の川銀河の他の恒星や惑星や衛星、星々にも、このように美しい花が咲いているところがあるのでしょうか?

ちょっと手振れでぼんやりしている画像もありますが、それはスマホで撮ったものです。

ついこの間まで咲いていたサクラ!

その前は、街路樹の真っ白なコブシの花が見事でした。

移り変わりの速いこと。 

桜の花吹雪も雨で落ち、すっかり葉桜になっています。

そして、
今は、ハナミズキのシーズン。

チューリップの色とりどりの花びらも、
見事ですね!

6月8日、横浜市で一番大きい新横浜公園。

鶴見川の遊水地を利用しているのですが、サッカー場、野球場、スケボー広場、

バスケットボール広場、テニスコート、陸上競技場、健康広場・・施設もいっぱいありますが、休憩場の周辺にハナミズキが複数あります。緑の葉に、真っ白な花がマッチして、心を洗われるようです。


ハナミズキはもうしばらく見るものの心を癒してくれそう。

今年もとうとう死者を出してしまった。

命綱はしっかりチェックしないといけません!


上社と下社があり、木落と里引き、それに御柱を神社に立てる日程がそれぞれ異なる。

私も郷里のこととは言え、詳細は調べないと分からない。

御柱ー7年毎の諏訪の大祭ー

4月初めからスタートした諏訪の御柱祭。子供の頃、父のキヤリを聞いた記憶がはっきりと残っている。

5月14日~16日

 樹齢150年を優に超える選ばれたモミの大木16本を山中から切り出し、御柱とする。
里に曳き出され、7年毎の寅と申の年に諏訪大社の社殿の四隅に建てる。

 宝殿の造り替え、そして御柱を選び、山から曳き、境内に建てる一連の行事を「御柱祭」と呼び、 諏訪地方の6市町村の氏子たちがこぞって参加して行われる。

正式名称は「式年造営御柱大祭」とのこと。

悲しいのは、昨年12月に亡くなった兄。一緒にこの時を迎えることが出来なかった。

実母に似た純粋な兄だった。実母は、私が5歳の時、駄菓子屋の店先で、脳出血で倒れ、植物状態になり、私が8歳の時、他界した。そんな実母の面影をしっかりと引いていた兄。人を押しのけ、また踏みつけてて上がっていくことが出来なかった兄。苦悩を一身に背負い、犠牲的な人生を終えた。

◆諏訪大社下社秋宮

昨年12月の7日に一番親しかった兄が亡くなった連絡を受けました。

私の場合、5歳の時にお店の玄関で突然母が倒れました。

脳出血でした。むかしのこと。医療が今日のようではなかったので、植物状態で臥したままでした。起き上がることが出来たと思った矢先、再度倒れて、亡くなりました。

私が8歳の秋でした。

それから更に悲しい日々が続くことになりました。

亡くなった兄は、中学生で牛乳配達と新聞配達をすることになったのです。

母が亡くなった後の、この兄の不幸と言ったら、簡単には書けないものです。

私もですが、この兄の精神的ダメージは、その後の生きざまが表しています。

そのような過程の中でも、この兄は私のことをいつも気にかけてくれていたのだと思います。自分の分身のように。

その兄が亡くなったのです。いくつになっても、家族の死は悲しいものですね。誰でも、迎える死ですが、悲しいです。母や姉の死が重なります。涙です。